親からの洗脳に気づいたとき、公務員退職が正しい道だと確信できました。

どうも、元公務員ブロガーのjazziです。今回は、両親や友人と話していて思いたったテーマです。

大学を卒業し、社会人2年目をフリーランスで迎えてみて、私は明らかに大学の頃や社会人になりたての頃と考え方や思考の仕方が変わっていきました。特にそのことを嫌でも感じたのは、公務員という職を退職する決意をしたときです。

その時強く思ったのは、私はもしかしたら今まで、「他人の人生を生きていたのかもしれない」ということです。ここでいう他人とは、具体的には親の事です。

私が学生から社会人になるまでに歩んできた道は、よく振り返ってみると親の望む、理想的な人生だったのです。
これが偶然の産物といって良いものなのか、私は疑問に思い始めました…。

「医者の子が医者になる」ように親の影響を強く受けすぎることが子にとっての本来の人生をある意味揺るがしかねないと思うのです。

とはいう、私の家族構成は、母は市町村事務の臨時職員、父は自営業、祖父は元準公務員、祖母は専業主婦一筋のベテランです。父は自営業ながらも私の教育には口を出さず、放任主義でした。逆に母は私の教育や進路の事を第一に考え、塾に入れ送迎をしてくれたりと熱心に面倒を見てくれました。

その母と専業主婦一筋の祖母の口癖は、「沢山勉強して、いい高校に行き、いい大学に行き、いい就職先に就けば、いい旦那さんに巡り合い結婚できて、幸せになれるよ。」でした。笑

今、その言葉を母や祖母から聞くと「確かに、そんな生き方も一理あるなあ」くらいに思えますが、小学校低学年だった当時の私にとってはこの言葉は私の人生にとてつもない衝撃を与える言葉でした。今でも忘れていないくらいですので。笑

なぜ、この言葉が私の人生を左右したのか。それは当時の子どもだった私は、こんな風に解釈したからです。

「勉強せずに過ごし、いいところに行けなければ私の人生は真っ暗。」
逆に、
「勉強すれば、幸せになれる!」という解釈です。

今考えると、どちらも極端すぎる解釈ですが当時の私は本気でそう思っていました。気持ち的には「勉強が出来ないと、生きていけないかもしれない」と思っていたくらいです。笑

なぜこうだったかというと、うちの家族には大学卒の人間が一人もおらず、学歴社会の厳しさを祖父母を始め、両親が痛感しながら生きてきたからだと今は思います。ですが、その背景も知らず、私はその家族の言う「勉強して立派な就職先に就けば幸せになれる」理論を子どもの頃から刷り込まれ、世の常識として認識したまま私は大人になりました。

どんな理論を信条として子が受け入れるのかは、その子次第でもありますが、たぶん子も子なりにその時の家族を含めたまわりの状態を見て、一番信憑性の高そうなものを信じるのだと思います。

私でいえば、父が自営業なのもあり、家庭は裕福ではありませんでした。実際両親の収入も不安定で、そんな環境で育ち、両親を真近で見ていた子どもの私が、勉強=学歴=立派な就職先がこの裕福でない現状を脱する唯一の方法なのだ!と、そんな風に解釈するのはある意味筋が通っていると思います。

親と子の間で、このような一種の洗脳状態になることって意外と多いと思うんです。実際、公務員になってみると、両親が公務員という同期にたくさん出会いました。これは、医者の子が医者になるのと同じ現象だと思います。
それほどに、親がどんな状態で、どんな考え方をしていて、子にどんな考え方を授けるのか。この教育とも言え、洗脳とも言える行為は、子の人生に絶大なる影響を与えるものだと思います。

なぜこんな話をしてきたかというと、私は「親」の考え方を真に受けすぎてそれが正しいのかと疑う余地なく、信じ続けて洗脳されてしまうことに「危うさ」を感じるからです。
親の言う事と違う考え方を持つ隙がなくなったり、親の望むものと違う人生の選択肢を持てなくなってしまうことがあるからです。

子にとって親は唯一無二の存在です。親は子を第一に考え、幸せになってほしいからこそ、自身の体験談や価値観を子に共有します。何十年間も人生を先に歩んだ分、沢山の幸せや成功と同時に失敗や挫折も味わっているはずです。

だからこそ愛すべき子供に、同じような失敗はしてほしくない。そんな気持ちがあるのは当然です。しかし、その気持ちが空回りして、伝え方や共有の仕方を間違えてしまえば幼い子供はとてつもない影響を受けます。小さな子供にはまだ、善悪の判断はおろか、どんな考え方を自分の信念をするかの選択なんて、出来っこありません。

そんな親のアドバイスや持論が、気づけば子どもにとっての持論に代わり、気づけば親の考えるように行動し、そのことに親子とも何の疑問も持たず人生を歩む…。それって、ある意味たちの悪い洗脳にも思えませんか?

親の考え方ももちろん大切ですが、子は子で自分の考え方や人生をきちんと選択する必要があると思います。子には子の人生があるんです。そこに親の事を巻き込んで人生を考えると後々、面倒な状態に陥ります。どんな状態かというと、親の洗脳に浸りすぎて、そのうち自分で考えたり、自分の人生を歩む努力を子はせず、思考停止になってしまうという状態です。

実際私はそんな状態に近い状態で、自分の進路や人生の選択をこれまで行いがちだったのだと思います。

もちろんそれで、子が心から幸せで、満ち足りた人生を歩めることに「結果として」なったのなら、それは素晴らしいことだと思います。しかし、私は親という自分ではない人の望んだ人生を、子という当人が生きても、きっとその子の人生は心から充実したものにはなる可能性はとてつもなく低いと考えます。

親も子も血を分けている家族ではありますが、あくまでも別個の他人でもあります。親には理想や望む形、失敗や成功したことがあるように、子には子の理想や失敗、成功の形があり、それは人それぞれ違うはずです。

私の人生だってそうです。親の望む人生を気づけばいつの間にやら目指し、理想通りに生きましたが、結果として理想にたどり着く途中に、「この先の人生を歩んだとして、親の望む幸せはあっても私の望む幸せはない」と思いました。
だからこそ、公務員という家族の理想の職を、反対されながらも説得して辞めました。

親子で一緒に築いたと思っている人生が、もしかしたら本当は親のレールの上を歩かされていた!?なんて思って後悔する人が少しでも少なくなれば…と心から思います。
子には子にとっての、本当に望む幸せがあるはずで、その幸せを掴むことが出来ます。
その選択が抵抗感なく、当たり前に出来る人がもっと増えていけば、世の中もっと幸せで、素敵な笑顔や表情で周りまでもハッピーにしてくれるような人がもっと増えると思います。
少なくとも不幸せそうな顔をしている人は必ず減ると思っています。

以上jazziでした!

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