[幸せになるためには] 当たり前の断捨離で人はもっと幸せを感じられる

思考の断捨離
本記事はこんな方にオススメ

「幸せになりたいと心から願っている方」

「幸せのピークが怖い方」

「欲しかった物も手にすると興味がなくなる経験をしたことのある方」

本記事の内容

この記事は「当たり前」を断捨離することで、人は幸せをより感じられるかもしれないという考えを綴ったものです。

人は、前は貴重だったモノやコト、ヒトにも、慣れてしまうと次第に、当たり前に変わってしまいます。

その当たり前が出来上がってしまった時、人は感謝と愛の心を忘れがちに。

そしてその感謝と愛の気持ちと共に薄れがちなのが実は「幸せ」なのです。

この人にとっての「幸せ」というテーマを「当たり前」の断捨離という事と、感謝と愛情に結びつけて今回はお話ししていきます。

[当たり前を断捨離する] 幸せは人を怠惰にしがち。だからこそ日々に感謝と愛情を。

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幸せは人を怠惰にする

慣れの怖さ

人はどんなに求めたものでも、一度手にしてしまえば、いずれその価値に慣れてしまいます。

あれだけ欲しかったモノも、

あれだけ実現させたいと願ったコトも、

あれだけ一緒に居たいと思ったヒトも、

一度そのモノやコトやヒトとの時間を手にしてしまえば、人は満足してしまいます。

もちろん初めは違います。

欲しかったモノが手に入った事が嬉しくて、

実現させたかったコトが実現して嬉しくて、

一緒に居たいと思ったヒトと居られる事が嬉しくて、

とても幸せで充実した日々が過ごせると思います。

ですが人は良くも悪くも慣れてしまう生き物。

前は貴重に思えたモノやコト、ヒトとの時間の価値にいずれは慣れてしまうのです。

慣れは次第に当たり前へ

そのうち以前は貴重に思えたモノやコト、ヒトと居られる事に慣れて行くと、居ることが「当たり前」になってしまいます。

一見当たり前に居る事ができる関係とは、居場所のような安心感を与えてくれそうに思えますが、ここには落とし穴が。

それは人が「当たり前」のことには感謝の心を忘れがちという点。

貴重だったモノやコト、ヒトに慣れて、そのうちそれらが当たり前になってしまえば、人は次第に感謝の心を忘れていきます。

当たり前は有り難うの反対語

感謝の言葉の代表例に「ありがとう」という言葉がありますが、この言葉の語源は「有り難い」という言葉です。

要するに人は、有る事が難しいモノやコト、ヒトに感謝するといえます。

そしてその「有り難う」の反対の言葉は「当たり前」なのです。

だからこそ人は当たり前のことには感謝の念を忘れてしまいがちになるのかもしれません。

そして人は感謝の心を忘れてしまうと怠惰になりがちです。

そこに存在して当たり前なモノ。

実現して当然なコト。

居て当たり前ヒト。

有って当然の幸せ。

それらのことに何も意識をすることなく日々を過ごしていくと人は怠惰になっていくのです。

これは当たり前のコトやモノやヒトに対して人は、失う事がないと思って、安心仕切ってしまい、危機感が薄くなるからだと私は思います。

ですが世の中に当たり前のことなんて本当は何ひとつありません。

当たり前は幻想に過ぎません。

幸せとはすでに完成されたものではない

「当たり前」と「幸せ」

当たり前が出来上がってしまった時、人は感謝の心を忘れがちになると上でお伝えしました。

そしてその感謝の気持ちと共に薄れがちなのが実は「幸せ」です。

よく「幸せのピーク」という表現を耳にしますが、幸せにピークがあると思っている人はきっと幸せはすでに完結したり、完成したものだと思っている人です。

もし「幸せ」がすでに完成したものであるとするならば、一度完成したものは時間の流れと共に廃れて行くほかないのです。

ですが幸せとはそんな風に、薄れたり、壊れたり、廃れてしまうものなのでしょうか?

私は違うと思います。

本来、幸せは育てながら慈しんで行くものであり、すでに完成したものでは無いと思うのです。

幸せにピークなんて、本当はないのかもしれません。

幸せは手に入れた後も育てていくもの

幸せはすでに完成したものではないと上でお伝えしました。

人は、以前は貴重だったモノやコト、ヒトに慣れてしまうと「当たり前」になり、感謝を忘れがちになってしまいます。

そして気づけば、以前は「幸せに感じていたはずのことに幸せを感じ切れなくなる。」

でもそれは幻想に過ぎません。

なぜなら幸せは今その瞬間に感じようと思えば、誰にでも感じられるものだからです。

こんな言葉があります。

もっと幸せな状態があるわけではない。
今を幸せと思える人とそうでない人がいるだけ。

この言葉が示すところは、「幸せ」はなるものではなく、感じるものである。と言う事だと私は思っています。

だからこそ幸せはすでに完成したものではないし、日々感じ取って、育んでいくものだと思うのです。

その幸せを感じとる心を忘れ、幸せはどこからか、誰かが運んできてくれるものなのだと、受け身になってしまえば、きっと人は一生幸せにはなれないのではないでしょうか?

幸せの育て方

幸せの栄養

上では幸せはすでに完成されたものではなく、感じ取りながら育てていくものだとお伝えしました。

では手に入れた幸せを育てていくにはどうしたら良いのか。

そこには、幸せを感じ取りながら育てていくには欠かせない栄養というものがあります。

その幸せを育てるために必要な栄養は感謝と愛情です。

人はどうしても、以前は貴重だったモノやコト、ヒトに慣れてしまうと「当たり前」になり、次第に感謝や愛情が薄れがちになります。

ですがその感謝や愛情を与えていかなければ、幸せというものは、自分の中の奢りや寂しさという日陰ですぐにしおれてしまいます。

幸せの育て方は花と似ている

私は「幸せ」というものは花を育てるときのように、日々感謝や愛情という栄養を与えることで育っていくのだと思うんです。

例えば、水という栄養を与えることをさぼってしまうと、花はしおれたり、枯れてしまいます。

有り難うという気持ちの栄養を与えることをさぼってしまえば、花だって何と無く元気がなかったり、蕾が付きにくかったりします。

そんな儚い花のように、幸せも案外脆いものなのかもしれません。

だからこそ、日々の当たり前に感謝したり、愛情を伝えたり。そんな些細に思われがちのことがとても大切なのだと思います。

この記事を書きながら、私も自分自身の生活や人や人生に対して、見直していくべきところが多くあるなと感じました。

みなさんが幸せな日々を過ごせることを、心からお祈りしています。

以上、jazziでした。

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